日本の重要なロック・バンド、オウガ・ユー・アスホール(Ogre You Asshole)、そのオリジナル・ベーシストであり、2011年にそれを脱退したNorihito Hiraide(平出規人)が、フォトグラファーとして初の作品集書籍『Norihito Hiraide』を出版した。そのリリースを記念して、さる2018年7月15日(日)、彼本人はもちろん、その写真集の編集、デザインを担当した美術家の前畑裕司をゲストに迎え、丸善名古屋本店でトーク・イヴェントがおこなわれた。
以前オウガに何度もインタヴューをおこなってきた愛知県在住の筆者が、急遽そのゲスト司会者を仰せつかった。
オウガ脱退以降、それについて彼の公式発言は見たことがなかった。それだけに、アート、写真に興味を持っているかたにとってはもちろんだが、狭義の音楽ファンにとっても貴重なものだ。
「2001年、当時17歳でバンドを結成した。小学校の同級生で組んで、ずっとやってきたバンドなんですけど…」
ちょうど10年めに…。
「音楽…めちゃくちゃ好きで、聴くのもやるのも好き。にしても、ちょっと変わってまして、ぼくは。音楽が好きなんだけど、音楽がそんなに得意じゃない。弾くのは好き、だけど、やってみたら思ったよりうまくできない。そんなジレンマをずっと抱えつつ。メンバーからも『がんばれや』みたいな(笑)、ずっと言われてたんです。それでもつづけてて。リリースすると楽しいですし、イヴェントもいろいろ出たりとか。バンドもどんどんステップ・アップしていきますし、楽しいんですけど、その一方でちょっと、こう、プレイ的な部分がうまくいかない。それで、仕事としてやってる音楽の規模がだんだんでかくなるにつれて、ちょっとヘヴィーな気持ちのウエイトが大きくなってしまって、つぶれかけた、みたいな」
かなり悩みが深かった。
「楽しい反面うまくいかない、みたいなのがずっとあって。2011年のときに限界がきた。それで、バンドのメンバーには『ごめんなさい、つづけられない』って伝えて、やめさせてもらった」
オウガ・ユー・アスホールの音楽性が変わってきたころ、つまりベースが肝になったころ脱退した。
「そうですね(笑)。 U.S.インディー系の、なんかこう素朴なものから、ちょっとこう、アーバンな、シティー・ポップみたいな、テクニカルな要素が必要な感じにサウンドが変わりつつあって、ま、そこらへんの対応もぼくのほうが追いつかない感じになりまして」
ファンキーなスラップ(チョッパー)ベースとか弾けねー、みたいな?
「そうそうそう。レコーディングでも、コード進行だけ決めて、あとフリーにやろっかって流れになってて。『ちょ、ちょっと、そういうの無理だな』という(笑)」
黒人音楽的な、 R&B的なもの寄りになるとベースが目立つ。もしかして、目立つのが嫌い?
「いや、目立つのは好きですよ(笑)。目立つのはいいんですけど、そのための表現が、音楽ではうまくいかなかった(笑)」
Hiraideがぬけたのはアルバム制作中、あまりに急だった。それで録音も一旦中止になったが、ギタリストKei Mabuchi(馬渕啓)がベースを弾く形で再開、ライヴ時のサポート・メンバーとして参加したTakashi Shimizu(清水隆史)が、翌年正式加入する。そのアルバム『ホームリー』リリース時にも、Manabu Deto(出戸学)にインタヴューしたが、Hiraide脱退については触れづらかった。
http://www.cookiescene.jp/2011/10/post-222.php
ここで満席の聴衆席から鋭い質問が飛ぶ。
「病んでたんですか?」(あとでお名前うかがいました。川口さん、男性)
「ああ、結構、病んでたかもしれないですね…。いや、今は笑ってますけど。うん、いい質問(笑)。バンドやめてから、それについて公式に話す機会もなかったんで、今日はいい機会ですよ。常に、気持ちのバランスをとるのがむつかしい状態はつづいてたんだと思います。で、急に脱退しちゃったんで、さすがに機材も…」
置きっぱなし?
「そう、それで、今も使ってもらってるみたいなんです。足まわり(エフェクター類)は変わっちゃってますけどね(笑)。清水さんが、今も弾いてくれてるみたい」
美しい話だ!
なにかよくわからないものを作りたかった
「それで、音楽をやめようと決めて。全力で観るほう、音楽は観るほう。プレイヤーはやめて、新しくなにか始めたいと。(オウガの)オリジナル・メンバーNishi(Arata:西新太:ドラマーとしては2004年に脱退したが、2010年ころまでアートワーク担当)くんも、Detoくんも(愛知)県(立)芸(術大学)出身なんですね。まわりに絵が上手なお友だちが多くて、絵とか描けたらいいなと、ちょっと憧れてたんですけど」
描いた?
「描かなくても描けないことわかってた(笑)。というか、絵は無理だなと思って。なにか、すぐに始められる、表現できるものないかなと。それで思いついたのが、カメラ。脱退して、すぐに買いました」
今は「インスタ時代」といえるかもしれない。なぜSNSのなかで画像(写真)メインのインスタグラムがひときわ目立つのか。たぶん、SNSに頻繁にアクセスするようなひとであれば「誰でも写真は撮れる」から。
「あっ、それですね、まさに(笑)。押せば画(え)になるだろうという安易なところからスタートしたんですけど」
入口、間口は広いメディア。そのタイミングで最初に手にしたカメラは?
「ローライ(Rollei)35。ちっちゃい、コンパクトなフィルム・カメラ。アナログで、全部マニュアル(手動式)。絞りもマニュアル、露出も自分で決めて。露出計はついてるんで、設定してあげれば撮れる。ただ、このカメラ、覗いても画が…。使いすてカメラとかと一緒で…」
ファインダーを覗いて見えるものはあくまで目安にすぎず、フィルムに撮影され最終的にプリントされるものとは、かなりの落差がある。
「そう! どうなるか全然わからない(笑)。ピント合わせってのも、目測で、だいたい何メートルという数字を入れて撮るんですけど、なかなか合わない。つい読みちがえたり。そういう部分をカヴァーする機材とかも、のちのち購入して(笑)いっぱい増えていくんですけど」
ヴィンテージ?
「1971年製ですね。ドイツのカメラで」
おいくらほど?
「3万円くらいだったかな? でも、買ってからも、いろいろオーヴァーホール(解体清掃、修理、部品交換)しなきゃいけなかったり」
マニア向け中古車みたく、修理に本体と同じくらい?
「オーヴァーホールに3万円以上かかりました(笑)」
(笑)
「それが2011年で、この写真集が出るまでに、結局7年かかりましたね。初めて写真展をさせてもらったのが2015年。つまり最初に形になるまでに4年かかった」
最初の写真展の場所は?
「矢場町のスパジオ・リタ(Spazio Rita)っていう、地下にあるオルタナティヴ・スペース。ライヴもできるし、展示もできるっていう場所なんですけど、そこでMaehataくんと、ほか2名のお友だち(新関陽香、小池喬)と一緒にグループ展を」
「その展示の、少し前に、初めてHiraideさんとは会った感じですね」(前畑裕司、Yuji Maehata、以下Y)
「1年くらい前だったかな?」
「オウガだったことは知っていて。最近写真をやっているという話を聞いて、ほかのメンバーとの話がちょっとずつ進行していったときに『じゃあ、Noriさん呼んでみよう』って話になって」(Y)
ちょうどいいタイミング、Hiraide自身納得のいく作品が撮れるようになったころだった。それから3年後、ついに発刊された『Norihito Hiraide』には、扉と奥付以外、文字がまったく載っていない。通常の編集セオリーでは「完全に省くことは無理」とされているノンブル(ページ数)さえも。かなり異例のことだ。
「そうなんですよ。普通、写真集でも、文字いっぱいありますよね」
「評論家による作家の紹介や、写真家自身のステートメントがあったりとか撮影場所や年数、キャプションみたいなものも普通はあるけれど」(Y)
それぞれの写真がいつどこで撮られたかも、まったくわからない。そのあたりは意図的に?
「ぼくとしては、なるべく説明なしで。見る人の、想像がふくらむようなイメージで。とりあえず、なにかよくわからないものを作りたかった。とにかく、想像してほしいんですよね。そのあとの物語とか。そういうのが拡がったらおもしろいかなと」
「個人的に、写真の作家さんは大好きで、いろいろジン(Zine:リトル・マガジン)とか写真集とか集めてたんですけど、いちばんかっこいい、クールだなと思うのは、文字情報が少なくて、もとの状態(写真プリント)がそのまま本になってるみたいなものだった。それが、たぶんHiraideさんと合致したんじゃないかと思います。もともと、ぼくはデザインを専門にしてるわけじゃないんですよね。自分の絵の展示会の、DMとかフライヤーを作ることはやってたんですけど。Hiraideさんがそれを見て、なにかを感じとってくれて、『ぼく写真集作りたいんだけど、Maehataくん作ってよ』って依頼があって『おっと!』。それは、なかなかの無茶ぶり(笑)。でも、おもしろそうだなと思って」(Y)
「グループ展のあとも、いくつか写真展とかやってるんですけど、そのときのDM、フライヤーも前畑くんにお願いしてたんですね。そんな流れで、家とかにも遊びにいってて。すると、本棚に並んでる本のセレクトとか見るじゃないですか。かっこいいものがいっぱいあって。音楽でも、遊びにいって棚にいいCDがあったら、いいバンドできるんじゃね? みたいな(笑)。そういうのりで。持ってるものもいいし、作ってもらったものもいい。まちがいなく、丸投げしていいなと思って。いや、丸投げじゃないんですけど(笑)、イメージを渡せば、いい感じに拾ってくれて、うまくいくんじゃないかなという確固たる自信がありました」
同じ質感の写真がつづくのはいや
実作業は、どのように。
「まずHiraideさんにピックアップしてもらって、組んでもらいました。彼自身が最高だと思う並びで作ってもらって、そこからぼくが崩していったり、『ここに、なにか欠けてるから、こういうのないですか』と足してもらったりとか、流れを作っていきました」(Y)
「そもそも、本当になにもわからない状態から始めたんで、使うソフトすらあやふやで」
ページ組みはインデザイン(Adobe InDesign)?
「そうです。ただ、ライトルーム(Adobe Lightroom)とか、そういうソフトも全然知らなくて。フォトショップ(Adobe Photoshop)より『写真』に特化したものだという情報を得て、ふたりでダウンロードして、いろいろ試しながら、データ作って。それからインデザインに挑戦して、自分で配置して、4回くらい送って。慣れてくるので、気合いを入れてやるんですけど、『最後に渡したやつがいちばんよくない』って(笑)。『どれよりも我(が)が出てる』みたいな(笑)。『最初のやつが、ラフで、ナチュラルで、よかった』って」
ある種のオルタナティヴな音楽と同じだ。Hiraide自身の話によれば、2017年の写真展までは展示会に出品するプリントをラボで手焼きしてもらっていたが、それ以降は現像所でフィルムをデータ化してもらい、それをさらに自らライトルームで好きな感触に加工するようになった。この本の制作を経たことによる、いい効果のひとつだろう。ここで訊いてみた。影響云々は別として、既存のフォトグラファーの作品に例えれば誰に近いと思うか?
「ふたりとも理想的だなって思う、写真集を作るにあたって『気分としてあった』写真家は、たしかにいました。スティーヴン・ショアー(Stephen Shore)」(Y)
「スティーヴン・ショアーさんは、60年代末、70年代から活躍してるアメリカの写真家で、今でもバリバリ撮ってる」
「インスタグラムもやってますね」(Y)
「そういうひとなんですけど、昔はウォーホルの、ザ・ファクトリーとかにも出入りしてて。そのひとが、ローライ35を使ってアメリカを撮った写真集ってのがあって。それ、めちゃめちゃ好きで」
「フォーマットは、近いものがあるかもしれないです」(Y)
「色の出しかたとかも」
「ただ構成とか、もちろんそれ一辺倒にならないよう気をつけました」(Y)
フォトグラファーとしてのHiraideの横顔が、少し見えてきた。
「ここ(壇上のテーブル前)にカメラたくさん並べてるんですけど、ぼく、あまり詳しくないんですよね(笑)。おたくじゃないっていうか、好きなところにかなり寄っちゃうというか」
それがおたくでは? というか、これだけ持ってればそう見える(笑)。
「気がついたら、集まってて(笑)。それぞれに違うんですよ、カメラの用途が。あと、ちょっと飽き症みたいなところもあって、同じ質感の写真がつづくのはいやなんですよね」
日本のフォトグラファーで、好きなひとや嫌いなひとは?
「日本のかたは、あまり掘って(ディグって)なくて。やっとこの本を作って興味が出てきたというか、このひとの写真かっこいい! みたいなふうに
思うことが。今までは、どうしても外国のかたでそうなることが多かった」
以前ぼくの周囲にいて、今それなりにビッグと目されている日本の写真家として、佐内正史や大橋仁があげられる。彼らの写真は、日常のなかの「歪み」を表現しているとぼくには思える。『Norihito Hiraide』にもそれを感じるのだが、ひとつ大きな違いがある。佐内や大橋の写真にはエロさと結びついた毒があり、それによって後者は今から数年前にSNSで炎上騒ぎを起こすことにもなってしまった。一方『Norihito Hiraide』には、あまりエロさを感じない。
「感じないです、ね…。ぼくの日常にエロさはないですから」
(一同爆笑)
「海外の写真家のかたがたで、80年後半くらいから、自分の身のまわりのドキュメンタリーを撮られてる…」
「ああ、スモールストーリー?」(Y)
「そんなふうに呼ばれてる動きがあるんです。セクシュアリティやドラッグとかを、あくまで自分の身近なものとして撮りつつ、我々はこういう世界に生きてるということを表現されている。ナン・ゴールディンさんとか、ライアン・マッギンレーさんとか。ぼく自身もそれやってるつもりなんですけど…、とくになにも起こらない(笑)」
前世紀なかばごろからと思うのだが、サブカルチャーはセックス・アンド・ドラッグ・アンド・ロックンロールと結びつけて語られがちだったし、アーティストの多くにもそんな志向性があったのかもしれない。だが(偶然にも上記フレーズを皮肉っぽくタイトルにした曲がヒットした)パンク/ポスト・パンク時代以降「そうではないサブカルチャー」も増えてきた。『Norihito Hiraide』の写真とオウガ・ユー・アスホールの音楽が重なる地点も、明らかにそこだ。Hiraide在籍時のオウガは、U.K.ポスト・パンク・バンド、ザ・スミスのギタリスト、ジョニー・マーと2010年フジロック・フェスティヴァルの楽屋で対談をおこなったことがある。
http://www.cookiescene.jp/2010/09/post-110.php
やはりぼくが司会(&通訳)をおこなった上記リンク記事現場の録音を終え、去った直後に、ジョニーさん…
「ぼくの口髭見て『おまえは、ちょっと怪しいなあ』って」
(笑)それどころか、スミスの少しあとに同じ町マンチェスターから登場したバンド、ザ・ストーン・ローゼズの中心人物イアン・ブラウンは…
http://www.cookiescene.jp/2010/09/post-111.php
英語でいえば、mustache。あのような口髭は今の西洋でも、もちろん日本ではさらに珍しい。
「昔の細野(晴臣)さんみたいな感じで」
なるほど! ヴィジュアル・インパクト抜群。フォトグラファーとしても欠くことのできない資質だと、ぼくは思う。
「そういうひきは強いっぽいです(笑)」
配給を万全なものにするため発行所(出版社)はついているが、基本的に『Norihito Hiraide』は自主制作(自費出版)。このD.I.Y.スピリットも、パンク/ポスト・パンク時代を思わせる。
日本の新世代オルタナティヴ写真シーンの先導者たれ!
http://www.ningensha.com/index.html
取材、文/伊藤英嗣(Hidetsugu Ito)